2015年3月12日

木村敏也展 (F93)  O Gallery eyes 2/2-7

具象絵画と抽象絵画が同一空間にある。多くの鑑賞者は二人展と見間違う。木村氏のコメントを記載する。

―モチーフに定めた対象を観察、分析し、具象的表現方法を用いて制作に取りかかり、先に「外」を描くことによって、対象の「内」を想像し、抽象的表現方法を用いて不過視で内在的なものを形にしていく。「外」と「内」は、相互関係にあり、互いに影響を及ぼし合うという観点から具象的表現方法と抽象的表現方法を用い、一見、相反する形を持つ作品を複数制作する事によって、改めて「内」と「外」の関係性を際立たせ、より強固で普遍的なリアリティを喚起させようと試みている。―


コメントから読み取れるように「外」と「内」つまり視覚的に捉える世界を具象的表現とし内的に感じ取れるものを抽象的表現としているのだろう。人物画とドローイングや滲み表現等を駆使した作品の双方は分野の異なる形式である。その形式意識を外しじっくりみる。何かが見えきた。人物画は奥行きを持たず現実空間にも干渉してこない。画面には微細な膜がいくつもあるよう思える。イメージがふんわり浮かび上がって感じるのである。技法を確認すると画面には透明感のある絵具を何層にもわたり塗られていた。この技法がイメージを浮かび上がらせていたのだろう。抽象的表現作品はその技法は使われていないがモノクロームの色調の差により同じ感覚が得られる。


木村氏の作品は絵画の本質的問題「制作者と鑑賞者が同じ位置に立つ」ということを探っているように思えた。だから「私が描いた」ではなく「私たちあるいは人間が描いた」ということ。それが「普遍的なリアリティ」と繋がるのだろう。


作品制作には非常に冷静な態度ではあるが、展示方法はかなり挑発的であり、具象抽象という分野を規定している約束事に気づかされた。

写真提供:Oギャラリーeyes

報告 教養課程講師 加藤隆明 協力 芸術計画学科合同研究室


2015年3月5日

バランスのとり方 2kwギャラリー 1/12-24

奈良田晃治氏(F02)が企画したグループ展である。出品者は奈良田氏本人のほか石川丘子氏(版画)と谷口嘉氏(ガラス)である。近年まで展覧会は美術関係者、学芸員、評論家などが企画運営をしていたが、制作者自身が企画し参加者を選択し展覧会をすることも珍しくなくなった。色々な要因が考えられるが、今回は企画した奈良田氏に話を聞いた。

今回の企画の動機は、自身の制作スタイルの確認にある。自身と媒体(キャンバス・筆等)そして対象物の関係を意識し、その制作スタンスの近い作家を選び、幾度の話し合いの内決めたという。

絵画、版画、ガラスという形態も制作方法も異なる作品を同一空間で鑑賞した時、鑑賞者は何を見ることができるのか。奈良田氏の作品と床に展示され作品をまわるように鑑賞する石川氏の版画も密度の濃い表情を作ってはいる。しかし内的な感情は余り読み取れない。むしろ平面が隠し持つ法則や構造を、線や面や色彩で掘り起こしているように感じ取れる。谷口氏の作品もガラスという自由度の高い表現が可能な性質の素材である物を、極力自らの感情でコントロールしていないように見える。

最初、「静と動」、「硬と軟」、「透過と遮蔽」ということが展示空間に感じられたが、じっくりと作品を経験するうち最初に受けた印象は消え、制作における媒体との距離感が見えてきた。その瞬間、この展示空間は緊張感のある静寂さに包まれていることに気が付いた。

報告 教養課程講師 加藤隆明 協力 芸術計画学科合同研究室


2015年2月26日

前田要治展(F6)アトリエTODAY+Cafe&gallery 1/10- /29

綿キャンバスを二枚重ね丸いシミのような斑点が規則正しく表面に浮かび上がる。表面にある綿キャンバスは上部から裂かれ、内にあるもう一枚のキャンバスにはプルシャンブルーが触覚的な表情を見せている。

前田さんにお聞きしたのは、「絵画とは何か」、「支持体への問い」、「イメージへの考察」等絵画の問題に対し、学生時代どのような作家や作品、批評の影響があったのか、であった。

美術学科在籍当時、絵画コースでミシンを使い縫い合わせる作業が中心となる作品を制作していたとのこと。その手法が絵画への問いにどのような答えを出していくのか、当時を想像するだけで興味深い印象を受けた。

現在の作品は丸く滲んだドットの下に十文のラインが引かれ規則正しく配置されている。このドット模様は新印象主義絵画の点描画やそれ以降のポップアート、そして草間彌生など現代まで常に重要な表現手法として実践されている。今の若手美術家たちもこのドット表現に関心が深い。


初期の作品は、布を縫い合わせたレリーフ的作品から糸を解したら一枚の布に戻るという可変的平面性がテーマであったのだろう。しかしその後ドット表現が現れてくる。要因の一つに、前田さんは美術学科の授業にあったという。当時の松井正先生の課題「非現実的な世界を描く」こと、そして泉茂先生の「非現実的世界を描いた作品のイメージをドット化し再構成すること」という連携した課題がドット表現の一遍を培っていたとのこと。前田さんの当時の感想では、具象的イメージをドット構造に分解し構築する作業は大変苦しかったという。ドット記号をシステマティックに描くことは肉体的精神的に大変苦痛となって制作者にのしかかる。しかしその経験が「絵画とは何か」への解答にもなってきた。興味深い話であった。

アトリエTODAY+Cafe&gallery  http://www.a-today.com/

報告 教養課程講師 加藤隆明 協力 芸術計画学科研究室


2015年1月20日

八想展  Shinsaibashi WA Gallery 12/19-25

写真学科3回生展が上野雛子大橋輝葉加藤大喜田聡小酒井自由高田鴻平東内万里平本美帆の8名により行われた。

私、あなた、家族、社会など10代最後の不安感と気分をテーマにしているのは上野と大橋と思える。2人とも身近な日常を切り取り組写真で表現している。大橋の作品は祖母だろうか中庭での日常の風景をカーテン越しに撮影している。その風景からたどたどしい家族との距離を感じさせる。上野は、モチーフとの距離が淡々とし一定の距離を感じ、私と外部に透明で厚みのある壁を感じさせる。


垂直と水平に構築された組写真作品、そのタイトルは「自由人」とある。小酒井自由と名づけられた彼の名前、そして自身の探求ともいえる作品である。テトリス的な展示方法に興味が湧く。


加藤大は1回生からアスリート達の撮影を続けてきた。今回の作品はアスリートと各競技場(場所の特殊性)との関係を写し出す美しく興味深い作品であった。


東内万里の作品は身近な風景をブレの技法により非日常的な風景を作っている。色彩の鮮やかさとブレの表情により抽象世界を垣間見せてくれる。


喜田聡の作品はモノクロームで撮影された風景で色彩の喪失によりどこか幻想的で非現実的世界を作り出す。


平本美帆の作品は「Good Bye Teens」のタイトル通り年代による不安感が垣間見える。両手で隠された顔には金網デザインの模様。捕らわれと先が見えない不安感が表れている。

高田鴻平の作品は海外で撮影された作品だか、写された人たちの多くはカメラを直視し微笑んでいる。撮影者は旅行者であり他者である。その関係の薄い双方の視線がレンズを通し平等に結びつく。そこには写される人たちにより見えないはずの撮影者の存在が明確になると感じた。

報告 教養課程講師 加藤隆明 協力 芸術計画学科研究室


2015年1月6日

杉山卓朗展 -Loop-(美術専門学校2005年卒)ASYL(元梅香堂) 12/6-1/11

針金のように折れ曲がった幅のある線が複雑に重なり合う画面。緊張感のある隙がないとも思える線の構成が鑑者の視線を引きつける。作品を読み取ろうとしても思考できない。イメージはただただ網膜上で留まり、思考の場へとは行かせてくれない。画面上を視線が漂えない強硬な絵画である。
一見ふわふわしているイメージの配列が、高度な技術によりまったく動きを感じないように構築されている。
観者の身体が動けなくなるような絵画空間、何がそうさせているのかを考える。


杉山氏のデビュー作品を2007年東京銀座のギャラリーで見た。画面いっぱいに幾何学形態が組み合わせてあり、個々に平坦な着彩をしてあった。色彩と幾何学形態の構成により建築的イメージが生まれていた。
しかし今回初めて面から線にそして背景となるべき空間が明確になっていた。


今までとは異なる針金のような線はどこから来たのかを杉山氏に聞く。
過去の作品から描かれた幾何学形態の一部を線とし切り離し、画面上に再配置したものである。つまり今回の作品は過去に制作された作品が基礎にあるのだ。自身の過去へのコミット、現在の作品は過去の直線状にあるのではなく、それは複雑に絡み合い過去でもあり現在でもあるのだと思えた。


色彩と形態の配列にはどの部分も均質に配置されており、中心を感じないばかりか有機的な形態を配列しなが
ら画面の時間は停止しているのである。これが観者の身体や視線を動かせなくしている要因だと思えた。

報告 教養課程講師 加藤隆明 協力 芸術計画学科研究室