天井まで3m以上はある壁面に、レモンイエローの大きな円が現れる。
その円は市販されているパイン飴の集積で形作られている。
横の壁には、壁一面に詩が描かれている。その大きく描かれた詩は、意味を伝えるだけではなさそうである。
詩を読むと壁に展示されたパイン飴の使用方法が受け取れる。
「あの人の涙を飴玉に見立てています」という内容は、鑑賞者一人一人の物語にコミットしてくる。
鑑賞者は展示してあるパイン飴を壁から外し口の中へ。視覚から触覚へ
フェリックス・ゴンザレス=トイスの作品を思い浮かべるかもしれない。
しかし、浅野さんの銅版画には常にイメージとともに詩が描かれてきた。
今回の試みは銅版画の拡張といえる。
パイン飴は詩の内容とは程遠いような味にも思うが「舌で転がす数分間」この飴玉が口の中にある違和感において私的内的宇宙を想起する時なのだろう。
今・ここに、の現実を切り離し、いつか・どこかを連想するための装置としての飴玉かと思う。
市販のパイン飴を選択した理由は造形的展示的理由もあるという。
壁に貼るという展示においてこの飴の形状が良かった。
パイン飴はドーナツのように円が内と外にあるその集積の形態も円となり、この作品は三つの円の構成で成り立っている。
偶然だろうか、パイン飴のさわやかな透明感あるレモンイエローと詩を歌う精神が軽やかですがすがしい空間を演出していた。
報告 教養課程講師 加藤隆明 協力 芸術計画学科研究室