稲垣元即さん(美術学科94卒)とENK DE KRAMER(エンク・デ・クラマー)さんの展覧会が月24日から2月5日まで北区西天満の0ギャラリーeyesで行なわれました。
会場には二人の数点ずつの作品が向き合う様に展示されていました。出品者の作品については、展覧会テキストを掲載します。
稲垣元則さん作品
稲垣元則のドローイング作品について最初に感じた印象は、その画面から発せられる“おおらかさ”。 紙の中央に筆や鉛筆で描かれているものが多く、筆致においては筆運びが緩やかなものから、スピーディーで即興的なものまで様々な表情や息使い(呼吸的なもの)を感じさせられます。 抽象的で捉え難いイメージ、相似形で繰り返し描かれるかたち等、どこか行きつ戻りつといった感覚を残しながら、確実な指標に迫っていく様子が伺えます。 しかし、幾つものドローイングを拝見して行くうちに、おおらかに見えたやわらかい筆致や色合いの他にも、それとは対照的な要素も感じるようになりました。 稲垣の感覚的な生々しさの上に、分析や考察がついてくるような冷静さ、ストイックな画面と膨大に描かれたドローイングの量が、奥底から滲み出てくる渇望の表れのようにも思え、どこか限定的に捉えていた私のドローイングに対する感じ方とは異なる未知の領域に触れるよう怖さを感じたのです。
エンク デ クラマーさんの作品
同じくエンク・デ・クラマーの作品にも、稲垣の作品とは異な りますが、対照的な要素を見ることが出来ます。近年の作品では、網状の柵または檻、鳥籠を思わせるような無機的なかたちと、ホオヅキの実のような植物や枯れ葉、三葉虫のような有機的な生物のイメージが重なり、要所で拘束性を感じさせる画面があります。執拗に描き重ねられた鋭い線跡や、色彩においては、主に赤や黒、基底材における白地も相俟って、画面をよりいっそう厳しく緊張感のあるものにしながら、その向こう側に開かれた空間を覗かせています。 閉塞と開放が伴うような空間。見る人によって心地のよい箇所も、他者かすれば覗きたくないものが見えたりするのかもしれません。
その境界はあいまいでありながら、対照的な要素が相乗作用によって画面を揺るがし、見る人の内側で何が写るか分からない不安と期待が、エンク・デ・クラマーや稲垣元則作品の魅惑的要素なのかもしれません。 寺脇さやか(美術家)
寄稿者としては、この二人の作家を対峙させるような企画者の意図が気になります。展覧会形式は、個人展やグループ展団体展など様々な形で行われます。造形系学生のなかには、グループ展の経験者も多いと思います。そのグループ展など行なう場合、複数の表現者と同室で行なう為、参加者は展覧会に対し共通の理解をする必要があります。今回の稲垣元則さんとベルギー出身のエンク・デ ・クラマーさんの作品を比較展示するのかをこの企画のアートデェレクター唐木 満さん(美術学科卒)に聞いてみたところ「稲垣氏、エンク氏のお二人共に当画廊が開廊して以来、継続的にご紹介してきた作家ということもあり、これまでの個展とは異なる角度で、それぞれの作品の質を見ることが出来ればという思いからです」ということでした。 このような展覧会の作り方は、アート作品に対し深い洞察力が必要とする展覧会の作り方です。何せ絵画同士を向かい合わせ、そこから観者はその絵画達のコミュニケーション(絵画言語)をビジュアルで享受しなくてはなりません。稲垣さんの作品の印象やドロッピングされた痕跡、平坦でありながら線と線交差する深み、背景の色調など目で感じるしかない特殊な絵画空間とエンク・デ・クラマーさんの作品要素が、ある部分共感したりあるいは差異化することにより、観者は多くの角度からそれらの作品を経験出来るからだと思います。
報告 加藤隆明 芸術計画学科講師
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