9月5日から10日まで門田修充さん(美術学科68卒)の個展が行なわれました。門田さんの作品は、アルミ板を加工したものと自然木を繋ぎ合わせたクラゲのような、あるいはツリーハウスのようなイメージの作品です。作品上部にはアルミ板を加工しドーム型に接合、表面には直線で構成された模様を切り抜き内部空間が見えるようになっています。下部には自然木の表皮を外し磨き自然木の柔らかさを表象させています。この作品は、自然木と人工物アルミにより構成されており、アルミの人工物で出来たカタチを自然の樹木が支えているという見方も出来ます。
作品に出会った時、最初にこのカタチのユニークさに心が引きつけられます。クラゲのようなイメージからは微笑ましさ、可愛らしさなどの印象が生まれます。しかし、アルミ板の鈍い光、規則的接合部分、そして切り抜かれたイメージが、なぜか人を遠ざける痛々しい感覚として伝わってきました。一つの作品の内部には、下に先頭部分を向けた小さな飛行機があり、この痛々しさと繋がるようなものであったと思いま
す。
もう一つの作品では、内部から複数の紐が下に垂れ、途中に本体と同じカタチをしたものが置かれています。この小さきカタチにはまだ内部空間が外に通じておらず、可愛らしさだけがありました。自然と人工、怖さと優しさ、大きいものと小さいもの、相反するものが数多く同居しているのがこの作品でしょう。
しかし、自然と人工では、自然は善で人工は悪的紋切り型の世界観でこの作品と出会うことは、あの巨大な自然災害を経験した後では、出来ませんでした。作品がユニークであるほど、現実世界の深刻があらためて感じさせられます。
この作品は、門田修充作品集からの転写です。1973年大阪芸術大学10周年記念展とあり、門田さんは美術学科2期生だったそうです。
報告 加藤隆明教養課程講師 協力 芸術計画学科研究室

上瀬留衣(芸術計画学科卒)の作品は、展示棚を舞台に見立て、オブジェを舞台装置のように配置したインスタレーションです。Part1で用いたガラスの器に前回同様赤い液体が入っており、そこに手足をもがれた人形が浸っています。人形の首はパールのネックレスに吊られており、頭は白い花になっています。これは彼女が以前に行ったリヴィング・スカルプチャーをモデル化し、オブジェで展開したもののようです。※2010年11月9日のブログ記事を参照して下さい。
冨田範子の作品は、フォトコラージュ2点組です。自分で撮影した様々な動物が、お花やポップな静物などであふれるカラフルな世界に棲んでいる楽しいイメージの作品です。
中橋健(芸術計画学科卒)の作品もフォトコラージュです。再開発が計画されている阪急淡路駅周辺の風景写真にペイントを施し、着色された新聞紙を台紙にして構成しています。変わりゆく風景に対する感情が表現されています。
西村卓也(芸術計画学科卒)はビデオ作品を出品しています。髪の毛のクローズアップをコマ撮りしたアニメーションをベースに、デジタル処理による着色と変形が施されています。5分の短編映像をDVDの繰り返し再生で、ブラウン管TVで表示しています。
ふじもとひとみ(文芸学科卒)の作品は友情と恋愛に関する考察を数式化したものです。作者の独特の恋愛観が表されているようです。額縁にはパンケーキにクリームを塗るように白い絵の具が盛られており、なぜか針治療用の針が無数に打たれています。
横地香樹の作品は床に重なりながら敷かれた書と、それを踏むように置かれた下駄の組み合わせです。書は「断面」「漢方」などの語や、「宇野亜喜良」「馳浩」等の個人名などで、それらを踏みしめる/踏み越えていくという意思が表明されているように感じます。
大橋勝(映像学科教員)の作品は、写真とコピー印刷を組み合わせたコラージュ2点です。イメージと物との関係を扱っています。
会場風景
しかし、小学校の教育課程において、「え」から「絵画」の習得としてそれが社会性を帯びてきた時、多くの子供達は描くことは学習するものとし、そしてめんどくさいものと捉え興味を失うことになるようです。
アーティストの絵画は、芸術の歴史で構築された約束事など社会性を作品に持ち込み継続しながら、その社会性の継続のどれかをひっくり返し、同時代の新たな絵画の魅力を生み出そうとしています。そのようなことにおいて、アーティストの絵画と子供の絵を同一することはできません。
くじら展の展示方法では何が見えてくるかを考えてみました。子供の絵は一見奔放に見えますが、発達過程に見られる要素とその子供の資質が混在し制作されています。出品されているアーティストの作品も、対象を詳細に描写しているような作品ではなく、 現代絵画、特に子供の「え」からインスピレーションを受け、構築していった作品や抽象形態の作品に思えます。
一見、子供でも描けるようなアーティストの作品と実際の子供の絵の対峙により、同じ絵と云われるものでも大きく異なるところと近似しているところがよく見え、また子供がアーティストの作品を観賞できる良い機会でもあり、興味深い展覧会であったと思います。
今回は奈良田さんの作品を見ます。雑木林を小高いところから見下ろしたようなアングルで描かれた風景画には、少し奇妙な印象を受けます。それは、画面を構成している樹木とそれ以外の空間に際立った特徴があるからです。樹木とそれを取り囲む空間は一般的には異なる質を有しています。
樹木は物質であり、それを取り囲むものはその物質が存在しないということでの空です。風景絵画は、そのように認識され描かれる場合もありますが、その物質と空間の質をどのように捕らえ画面に構築していくかは一人一人のアーティストのテーマとなる場合も多いのです。
奈良田さんの作品は、画面上部に赤茶色を基調とした暗い色彩が施され、中央から下の空間は、青から白に近い色により鈍いながら明るい色調で構成されています。樹木は暗く空間は明るく描くことで、イメージと空間(図と地)の関係が反転します。物質としての樹木は空間のように平坦で安定し画面奥に引き下がり、イメージを支えるべき空間は、あたかも物質のように画面より手前に感じます。これがこの作品に奇妙さを感じさせた技法です。さらに作品に目を近づけると樹木は平面的筆使いを行い、空間には短い筆致で運動を感じるように描かれています。筆の静動においても動的空間と静的イメージの対応で、この作品の特殊性が増長されているようです。
絵画は、世界を単に切り取るのではなくアーティストと世界の独自な繋がりを見せるものです。そこには、作り手を超えて現れる解釈不能で魅力的なイメージがあり、それが作品の質を高めることもあります。
6月29日から7月9日まで池田高弘さん(美術学科07卒)の個展が行われました。
チョコレートパウダーをメディウムに混ぜ顔料として使うことで、視覚体験である絵画から味覚の体験を視覚的に行なおうとしているのがこのアーティストの試みです。
ドロッピング技法や小さな円のドット描写、等間隔のラインや模様などはスイーツのデコレーションからの引用であり、抽象絵画からではありません。スイーツの制作にあたりそのデザインの視覚体験が即座に味覚体験に変換できるように、スイーツ制作者はそのためのいろいろ工夫が行われています。池田さんはその視覚体験を絵画として再構構成しています。
作品の細部を見てみます。画面からこんもりと浮き出たイメージから観者が触りたくなるような気分になります。レリーフは触覚の機能を揺さぶり(例えば壁にある凹凸には触れたくなる気分)身体感覚へと広がり味覚の機能も働きだすと思います。