2011年9月24日

岡田彩希子展『私は、私のすべての器官で、あなたを愛す。』 galerie16

 

岡田彩希子(1998年芸術計画学科卒業)の個展が2011年9月20日から25日にかけて、京都「ギャラリー16」で行われました。岡田さんは大阪芸術大学を卒業した後、大阪大学臨床哲学研究科研究生、京都大学人間・環境学部聴講生などを経て、現在は京都大学人間・環境学研究科博士後期課程に在籍し、精神分析と現代芸術の研究を行っています。

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本展は小さなライトに照らされて床に点在するオブジェと、プロジェクターで投影される2つの映像、繰り返し朗読されるテクストなどで構成されたインスタレーション作品です。オブジェには拾得物、母親の遺品、愛する人への贈り物などがあり、すべてが本来あるべき場所から切り離された物たちです。映像には性別のあいまいな人物が、浮かび上がるように黒い背景の中で立ちすくんだり、横たわったりしています。これら奇妙で頼りなげな事物を、傍らから見つめている生命の存在をテクストが語っています。
 この作品に寄せられた新宮一成氏(京都大学人間・環境学研究科教授、精神医学)の文章を以下引用します。
 

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“「すべてとは何か?」                   
 岡田彩希子展『私は、私のすべての器官で、あなたを愛す。』の空間に足を踏み入れたとたん、人は己の記憶の暗闇を想うだろう。しかし、小さな光に照らし出された点在するオブジェは、それぞれが記憶の塊のようである。記憶はじつはこんな落とし物であったのではないか。私の古い精神の空間に、誰がそれらを落としたのだろう。

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しかし私にはそれは拾えない。それを拾ったのは他者だ。してみると、私は別の人の目で私という記憶たちを見ている。これらの塊は、すべてが私。それらは、映し出される文字から、他者のような「生命」の声をひたすら聞いている。作家は、落ちていたものと、母の遺品と、愛する人にあげたものとで、今回の空間を構成したという。
 

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精神分析でやって来る想起は、話す主体に関わるものだ。しかしあるところまで来ると、想起の主体は自分ではなくなるかもしれない。実際、その主体が「生命」の環そのものとなり、自分は想起される落とし物としてそこに見出されるのみという剣呑な根源的事態へと、われわれはこの空間に乗って運び込まれていくのである。“       

 新宮一成(精神医学者)
 
投稿:大橋勝先生(映像学科)


2011年9月21日

門田修充展 番画廊

bann0922003.jpg 9月5日から10日まで門田修充さん(美術学科68卒)の個展が行なわれました。門田さんの作品は、アルミ板を加工したものと自然木を繋ぎ合わせたクラゲのような、あるいはツリーハウスのようなイメージの作品です。作品上部にはアルミ板を加工しドーム型に接合、表面には直線で構成された模様を切り抜き内部空間が見えるようになっています。下部には自然木の表皮を外し磨き自然木の柔らかさを表象させています。この作品は、自然木と人工物アルミにより構成されており、アルミの人工物で出来たカタチを自然の樹木が支えているという見方も出来ます。

 
bann0922000.jpg 作品に出会った時、最初にこのカタチのユニークさに心が引きつけられます。クラゲのようなイメージからは微笑ましさ、可愛らしさなどの印象が生まれます。しかし、アルミ板の鈍い光、規則的接合部分、そして切り抜かれたイメージが、なぜか人を遠ざける痛々しい感覚として伝わってきました。一つの作品の内部には、下に先頭部分を向けた小さな飛行機があり、この痛々しさと繋がるようなものであったと思いま
す。

bann0922002.jpg もう一つの作品では、内部から複数の紐が下に垂れ、途中に本体と同じカタチをしたものが置かれています。この小さきカタチにはまだ内部空間が外に通じておらず、可愛らしさだけがありました。自然と人工、怖さと優しさ、大きいものと小さいもの、相反するものが数多く同居しているのがこの作品でしょう。

bann0922001.jpg しかし、自然と人工では、自然は善で人工は悪的紋切り型の世界観でこの作品と出会うことは、あの巨大な自然災害を経験した後では、出来ませんでした。作品がユニークであるほど、現実世界の深刻があらためて感じさせられます。

 

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この作品は、門田修充作品集からの転写です。1973年大阪芸術大学10周年記念展とあり、門田さんは美術学科2期生だったそうです。

報告 加藤隆明教養課程講師 協力 芸術計画学科研究室
 
 


2011年9月20日

「再」展 part2

8月28日の記事で紹介されたグループ点のパート2が開催されているのでお知らせします。今回も芸術計画学科の卒業生が中心となって行います。2011年9月10(土)から9月25日(日)まで、会場は同じ大阪市阿倍野区にある「ギャラリー流流」です。参加者は上瀬留衣、冨田範子、中橋健、西村卓也、ふじもとひとみ(にょっきs)、横地香樹(にょっきS)、大橋勝の7名です。この展覧会は「再」という語/文字から、各自が自由に連想したり解釈した表現を持ち寄るものです。

 

oohassi2002.jpg上瀬留衣(芸術計画学科卒)の作品は、展示棚を舞台に見立て、オブジェを舞台装置のように配置したインスタレーションです。Part1で用いたガラスの器に前回同様赤い液体が入っており、そこに手足をもがれた人形が浸っています。人形の首はパールのネックレスに吊られており、頭は白い花になっています。これは彼女が以前に行ったリヴィング・スカルプチャーをモデル化し、オブジェで展開したもののようです。※2010年11月9日のブログ記事を参照して下さい。

 

oohassi2006.jpg冨田範子の作品は、フォトコラージュ2点組です。自分で撮影した様々な動物が、お花やポップな静物などであふれるカラフルな世界に棲んでいる楽しいイメージの作品です。

oohassi2003.jpg中橋健(芸術計画学科卒)の作品もフォトコラージュです。再開発が計画されている阪急淡路駅周辺の風景写真にペイントを施し、着色された新聞紙を台紙にして構成しています。変わりゆく風景に対する感情が表現されています。
中橋さんは今回、1992年に卒業して以来の作品制作になるそうです。現在は大阪市北区中津でカフェ&ギャラリー「空夢箱」を経営されています。

oohassi2004.jpg西村卓也(芸術計画学科卒)はビデオ作品を出品しています。髪の毛のクローズアップをコマ撮りしたアニメーションをベースに、デジタル処理による着色と変形が施されています。5分の短編映像をDVDの繰り返し再生で、ブラウン管TVで表示しています。
西村さんは「ギャラリー流流」の運営を行なっており、本展の企画者でもあります。

oohassi2001.jpgふじもとひとみ(文芸学科卒)の作品は友情と恋愛に関する考察を数式化したものです。作者の独特の恋愛観が表されているようです。額縁にはパンケーキにクリームを塗るように白い絵の具が盛られており、なぜか針治療用の針が無数に打たれています。

 

 

oohassi2007.jpg横地香樹の作品は床に重なりながら敷かれた書と、それを踏むように置かれた下駄の組み合わせです。書は「断面」「漢方」などの語や、「宇野亜喜良」「馳浩」等の個人名などで、それらを踏みしめる/踏み越えていくという意思が表明されているように感じます。

 

 

oohassi2005.jpg大橋勝(映像学科教員)の作品は、写真とコピー印刷を組み合わせたコラージュ2点です。イメージと物との関係を扱っています。

oohassi2000.jpg会場風景

最終日(9月25日)午後5時よりクロージング・パーティを行います。会費¥500 (1dronk+お菓子)

展覧会名:「再」展会場:ギャラリー流流会期:2011年9月10日(土)から9月25日(日) 午前11時より午後7時まで 水曜日休廊
大阪市阿倍野区丸山通1-2-2
電話:06-6656-8184地下鉄谷町線あべの駅より徒歩8分地下鉄御堂筋線/JR天王寺駅、近鉄あべの橋駅より徒歩13分
ギャラリーHP http://ru-pe.com
スタッフブログ http://nikkiruru.exblog.jp
アクセス http://ru-pe.com/www/pages/g-ac.htm
 

投稿:大橋勝先生(映像学科)


2011年9月17日

くじら展2    ART AGITO GALLERY

kujira2000.jpg この展覧会は、アーティストの絵画と子どもの絵が同じ場所に展示してあります。自身の経験で考えるに、子供の頃の絵は、自身との対話や他との関係の表層化のため、そして手の運動としてあり、他の人の視線は気にも留めなかったように思います。

kujira2001.jpgしかし、小学校の教育課程において、「え」から「絵画」の習得としてそれが社会性を帯びてきた時、多くの子供達は描くことは学習するものとし、そしてめんどくさいものと捉え興味を失うことになるようです。

kujira2002.jpgアーティストの絵画は、芸術の歴史で構築された約束事など社会性を作品に持ち込み継続しながら、その社会性の継続のどれかをひっくり返し、同時代の新たな絵画の魅力を生み出そうとしています。そのようなことにおいて、アーティストの絵画と子供の絵を同一することはできません。

kujira2003.jpg くじら展の展示方法では何が見えてくるかを考えてみました。子供の絵は一見奔放に見えますが、発達過程に見られる要素とその子供の資質が混在し制作されています。出品されているアーティストの作品も、対象を詳細に描写しているような作品ではなく、 現代絵画、特に子供の「え」からインスピレーションを受け、構築していった作品や抽象形態の作品に思えます。

kujira2004.jpg一見、子供でも描けるようなアーティストの作品と実際の子供の絵の対峙により、同じ絵と云われるものでも大きく異なるところと近似しているところがよく見え、また子供がアーティストの作品を観賞できる良い機会でもあり、興味深い展覧会であったと思います。

報告 加藤隆明 教養課程講師 協力 芸術計画学科研究室

 


2011年8月22日

Worldmaking Exhibition of 5 versions 2kw gallery

world000.jpg  7月11日から23日までグループ展が行われました。その参加者に田中秀介さん(美術学科09卒)、中川雅文さん(美術学科97卒)、梅原彩香さん(美術学科09卒)、奈良田晃治さん(美術学科09卒)が参加されていました。

 

world001.jpg 今回は奈良田さんの作品を見ます。雑木林を小高いところから見下ろしたようなアングルで描かれた風景画には、少し奇妙な印象を受けます。それは、画面を構成している樹木とそれ以外の空間に際立った特徴があるからです。樹木とそれを取り囲む空間は一般的には異なる質を有しています。

world002.jpg樹木は物質であり、それを取り囲むものはその物質が存在しないということでの空です。風景絵画は、そのように認識され描かれる場合もありますが、その物質と空間の質をどのように捕らえ画面に構築していくかは一人一人のアーティストのテーマとなる場合も多いのです。

 
world003.jpg奈良田さんの作品は、画面上部に赤茶色を基調とした暗い色彩が施され、中央から下の空間は、青から白に近い色により鈍いながら明るい色調で構成されています。樹木は暗く空間は明るく描くことで、イメージと空間(図と地)の関係が反転します。物質としての樹木は空間のように平坦で安定し画面奥に引き下がり、イメージを支えるべき空間は、あたかも物質のように画面より手前に感じます。これがこの作品に奇妙さを感じさせた技法です。さらに作品に目を近づけると樹木は平面的筆使いを行い、空間には短い筆致で運動を感じるように描かれています。筆の静動においても動的空間と静的イメージの対応で、この作品の特殊性が増長されているようです。
 

world004.jpg絵画は、世界を単に切り取るのではなくアーティストと世界の独自な繋がりを見せるものです。そこには、作り手を超えて現れる解釈不能で魅力的なイメージがあり、それが作品の質を高めることもあります。

報告 加藤隆明教養課程講師 協力 芸術計画学科研究室