みなさんは、大前光市さんをご存知でしょうか?
交通事故で左足を失いながらも、長短さまざまな義足を使って工夫することで、世界に2つとないダンススタイルを築き上げて来られたダンサーです。
リオパラリンピック閉会式でのパフォーマンスや、昨年の紅白歌合戦で平井堅さんの歌に合わせてダンスを披露されたことでも注目を集めました。
そんな大前さんは、本学舞台芸術学科の卒業生でもいらっしゃいます。
先日、人権教育特別講演会「義足のダンサー 大前光市 人生を語り、踊る」と題し、本学で講演を行ってくださいました。
最初にスライドで流されたのは、アンデルセンの童話「すずの兵隊」。
ある男の子の誕生日祝いに、錫(すず)でできた25人の兵隊の人形が贈られるのですが、最後に作られた1人の兵隊は、材料が足りなくて1本足という設定のお話です。
兵隊姿で学生たちの前に現れた大前さんは、まず自身が使われている義足を紹介してくださいました。
左右で同じ靴が履けるように、先が足の形をしているのは、普段の生活で使うもの。
つま先から甲の部分の足の形を取り除いたものは、遠くから見ると義足だとわからない程自然に踊ることができる、ダンス用のもの。
さらにはピエロのような役にぴったりの長ーい義足に、今度はわざと短い義足。
そして「これはクリスマス用(笑)」と言ってイルミネーションが仕掛けられた義足も紹介してくださいました。
大前さんは、自分のダンス表現に合わせて、義足の形についてもさまざまに考案されているのです。
また、自身の人生についても振り返られました。
大前さんは中学の学芸会がきっかけで演劇に興味を持ち、高校では演劇部に所属。
ミュージカルに興味を持って、大阪芸術大学に入学されました。
そして在学中は、現在も舞台芸術学科で教鞭をふるわれている堀内充先生のもとで舞踊を学び、振付創作にも熱心だったと話されました。
しかし、卒業後に憧れの劇団への入団をめざしていた矢先、皮肉にもオーディションの2日前に交通事故に巻き込まれてしまいました。
左足を切断しなければ命が危ないと宣告され、自分の足を見て「なんで俺が」と叫んだという大前さん。
義足ではレッスンにも全然ついていけず、ダンス技術は大学に入学した頃に逆戻り…。
義足でダンスに初めて臨んだその日、一番泣いたそうです。
同期の活躍を聞く度に悔しい思いをされ、身体も心もボロボロに。
それでもダンサーの夢を諦め切れず、片足を活かしたダンスを志します。
義足を使ったダンス、義足を使わずに片足だけで踊るダンスと、試行錯誤。
大前さんは、自身の運命を受け入れて、前に進まれました。
「両足山という山を登っていたら、突然立ち入り禁止になってしまった。でも、隣に片足山というのを見つけた。
両足山を登ることを諦めて片足山を登ってみたら、なんだかどんどん登っていける。
そして実はどちらの山からも、同じ景色が見れたりすることにも気づいた。両足山を登ってる奴を見つけて、オーイ!って声も掛け合えたりする。
前のようにできなくなったとしても、形を変えて別のものになればいい。みなさんも、変化を恐れずに進んでほしい。」
そんな風に語られる大前さんの目は、希望に満ち満ちていました。
また、講演の最後には、堀内先生も壇上に上がられ、
「人間は完璧なものが良いのではない。どこか欠けていたり、到達していないところがある。そこが好き、それが芸術。」とコメント。
大前さんとがっしりと抱き合いました。
講演の後は、舞台芸術学科舞踊コースの学生たちが、大前さんと交流する場面も。
「ダンスの道へ戻ったきっかけは?」「よくやるトレーニングは?」など、多くの質問が飛び出し、最後まで大人気の大前さん!!
素敵なお話を、ありがとうございました。
投稿:島田(企画広報部事務室)