万博公演アートプロジェクト「未来記憶圏からの目覚め<冬>」に行ってきました。 このアートプロジェクトは夏と冬の二つの季節をつないで展開されるビッグプロジェクト。 <夏>の様子は以前ブログでお伝えしました。
クリスマスムードのこのシーズンに行われた今回の「冬」は、 この季節にあわせたロマンティックな演出と子どもたちも楽しめる企画が盛り込まれていました。
凍える空からは小雨もちらつくほどの生憎の天候。 それにもかかわらずどんどん集まってくる人、人、人。 このアートプロジェクトにかかわった大阪芸術大学のスタッフは約200人。 来場者の方にとっても、スタッフにとってもまさにお祭りです。
この200名からなるアートプロジェクト・コミッティを率いるのは芸術計画学科の谷悟先生。 今回のアートプロジェクトには大阪芸術大学のたくさんの学生、先生方が参加しています。
工芸学科の全面協力によって実現した光のプロムナードや 演奏学科のパーカッショニストたちによる打楽器アンサンブル、 アストロ温泉ワークスとして太陽の塔の子機やおなじみ「シンドウさん」も登場していました。 さらに通信教育部の建築学科生による「ななめ箱」の体験。
太陽の塔に投影する映像パフォーマンスはクリエイティブディレクターのアサオヨシノリ先生の監修で、 映像学科の方々の制作です。会場に流れる全ての音楽とサウンドスケープは大学院・音楽制作専攻生が担当しました。
質の高いアートプロジェクトを完成させるために手抜きなしの制作をモットーとするツワモノが集結しました。 学科の枠を超え横断的なつながりの中で生まれるアートプロジェクト。 大阪芸術大学だからこそココまでできる、って感じがしました。
かつて大阪万博でたくさんの人々が夢を描いた場所。 1970年以降の世界のどの国も真似することすらできないでいる太陽の塔がある場所。 そんな千里万博公園に触発され、その場所にふさわしい特別な表現が生まれ、そこに人が集う。 送り手はアートのチカラをシンジ、受けては能動的な姿勢で時間を共有する。 プロジェクトを構成する要素の一つ一つが「寄せ集め」ではなく、五感を刺激するための巧みな計算の下、 やさしく来場者を囲い込みます。 単なる「イベント」としては語れない企て。 芸術計画学科で学ぶアートプロジェクトの手法が様々な形で垣間見ることができました。
『出会った瞬間には度肝を抜かれるけど、気がつくと親しみを感じている。 愛想がいいわけではないのに憎めない。そのうちにアドレナリンが分泌されてくる。 そしていつか誇らしい気分になっている。「太陽の塔体験」を一言でいえばそんな感じだろうと思う。 そもそもなにを表しているのかもわからないし、なんのために立っているのかさえわからないのだ。 意味もわからないのに身体が反応している。 太陽の塔がいまを生きるぼくたちを惹きつけるのは、きっと日本人の血の中にあるなにかと交信しているからだ。 太陽の塔はいまでも生きて、僕たちを挑発している。そう考えるしかない。』 平野暁臣 著「岡本太郎」(PHP新書)より抜粋
誤解されていることが多いようですが、太陽の塔は大阪万博のシンボルタワーではありませんでした。 EXPO70にはれっきとした「エキスポタワー」なるシンボルタワーがありました。 今、万博跡地には太陽の塔だけが残っています。古代からずっとそこに立っているように。 そして永久保存することが決まっているそうです。
大阪万博の総合プロデューサーだった岡本太郎が考えたEXPO70のキーワードは 「ベラボー」と「祭」だったそうです。当時この万博を壮大な「祭」の空間にしようとしていたのだとか。
太陽の塔にメッセージを送る「交信」が始まりました。 この企画の冬テーマは「新しい夢を見る」。 来場者の方々が携帯電話を通じて、それぞれが思い描く夢を言葉にして太陽の塔に語りかけます。
「10年後もまた来ようね」そんな文字が投影されました。
万博から40年。このような形で今でも多くの人々が太陽の塔の下に集う。 2009年版の「祭」をこのアートプロジェクトによって提示することができたのではないだろうか、 そんな思いが浮かんできました。そしてこの「祭」の形が提示されたことによって、 参加者の心には未来への道が描かれたような気がしています。
このアートプロジェクトに参加された学生の皆さん、先生方、各分野のスタッフの皆様、 関係者の皆様、長期にわたり本当にお疲れ様でした。 ベラボーに素敵なプロジェクトでしたよ。
●万博公演アートプロジェクト 「未来記憶圏からの目覚め<冬>」 2009年12月20日(日)~24日(木)
投稿者:教務課
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