津高和一先生が中心となり行われた架空通信テント展については前回報告させて頂きましたが、今回は生誕100年と云う事で津高先生自身の作品と架空通信テント展に通じる芸術活動を展覧会の内容から報告させていただきます。
今回の架空通信テント展には、著名な学者や芸術家などが発起人として参加していましたが、本大学の教員や学生が数多く参加し、この展覧会をより盛り上げていたと思います。
美術館最初の部屋では、この企画に深く関わっておられたアーティストの作品が展示されており、津高先生の交友関係の深さと信頼の高さが窺われます。手前作品は10月に亡くなられた元永定正氏の作品、奥が持田総章元美術学科長の作品です。
作品名、鳥籠(1951年制作)は静謐な白色の背景に、籠を持つ人物が優しい線で描かれています。人物を描く線は人体を通り越し、空間を分割キャンバスの矩形関係へと延びていきます。抽象形態を暗示しているかのような作品ですが、詩的叙情性を作品に感じる事ができます。
作品(1962年制作)具体的なタイトルを排除してきたこの時代の作品は、和紙や書の持つ独自な美意識を、キャンバスと油彩を使用し、余白を重視した日本的絵画として作品展開しているようです。
津高先生の試みの一つを、展覧会の説明文から一部引用させてもらいます。
「対話のための作品展」
1962年の「一日だけの展覧会」に始まり、長く「対話のための作品展」と名付けられた津高和一自宅での展覧会、通称「自宅展」は、年に一度、自宅とアトリエ、芝生の広がる庭を開放して、その時々の新作を展示しながら、様々な人々と交流する機会となりました。当時次々と設立されていた画廊や美術館という特殊な場ではなく、日常の環境のもとに自らの作品をさらし、その表現を問うという独自な試みは、後の「架空通信テント美術館」展につながっていくものでした。
当時の様子の写真と模型で再現しています。
報告 加藤隆明教養課程講師 協力 芸術計画学科研究室